斜め読みっていうか飛ばし読みですが・・・
土曜日, 1月 31st, 2009長いので読まんで良いと思う。
読むとしても最初の4行で十分わかる。
その後の実際に触れた内容は正直長いし、ちょっとこの書いている人も
許容量が小さい、まぁ器がちっちゃいというかそういう気もしないでも
ないと思うんで・・・・。
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確かに日本では「勉強ができる」ことへの偏見のようなものはあるし、
それが科学の発展を妨げているところもあるかもしれないな、と実感があったからだ。
頭がいいことへの偏見を生んでいるかもしれない、
頭のいい人の無邪気さ(英語で言えばナイーブさ)に接してしまったからだ。
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この記事に対するコメントで「賢い」と「頭が良い」は違うんだぜ、
「相手を思いやるということができるとかそこにきがつくことができる」というのが
まさに「賢さ」なんだぜといっている人がいた。
このブログ読んだときにはまだはてぶコメントが10にも満たないぐらいで、
でもなんか残るもんがあるなぁと思って後でも一回読んでみようと思っていたんだ。
そんで夜帰ってきて、コメントみたらすげぇ数になっていてこのコメントに出会え
た。自分が無意識に「頭が良い」と「賢い」を使い分けていたのをこの人は
言葉にしてくれたんだ、あぁそういうことだ。と思った。
結局、頭がいいことに対して偏見をもたれていると感じている人は、ただ
「頭がいい」だけの人なんじゃないかという気がしてきた。
まぁ、ただ「頭がいい」」にもなれない私が言うなって話なんですが。(涙)
500近いコメントがあるなかの「あぁ、あるある、自分も頭がいいって
いじめられた」(っていうかはてぶら〜ってそんなに頭がいいやつばっか
集まってんのか!?)っていうのがほとんどだったけど、少数意見の
なかに「いや、頭よかったけどいじめられたことないっす」っていう意見も
あった。そう、この人たちは「賢い」人なんだと思う。
私は、最初にこれを読んだときになんというか、わからなかったんだ。
これは恐らく頭がいい人にたいする自分の「ひがみ」じゃないかとも思った。
でも、違う、私はひがんでいた訳ではなかったんだ。
「頭がいい」を自分の中で「賢い」と変換して読んでいたから違和感を
覚えた、ただそれだけのことだったんだ。